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寺宝

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重要文化財

『遊行縁起』全十巻
♦1323年(元亨3)
紙本著色
縦 34.5cm
全長 1405.38cm


 本絵巻は全10巻のうち、前半4巻17段は時宗宗祖一遍上人伝、後半の6巻26段は二祖他阿真教上人の伝記で構成されています。

 前半の一遍上人伝は巻頭前文のあとに遺恨をもつ親族からおそわれるという場面から始まり、熊野での成道(じょうどう,悟りをひらくこと)、日本全国への遊行・賦算(ふさん,お札くばり)・踊り念仏、最後に兵庫の観音堂(現・真光寺)で臨終をむかえるまでを描いています。

 詞書の内容・絵についてみると、同じく一遍上人の生涯を描いた国宝『一遍聖絵』十二巻(時宗総本山・遊行寺蔵)と類似している部分も多く、本絵巻を制作するにあたっては『一遍聖絵』を参照したと推測できます。後半の二祖他阿真教上人伝では一遍上人の臨終ののち、真教上人が遊行を継承し、特に北陸・中部・関東地方を遊行・布教して時宗教団の基礎をかため、次第にその拡大をはかり、相模国(神奈川県)当麻・無量光寺での歳末別時念仏会を修するまでを描いています。

 編者は宗俊(生没年不詳)といわれ、『一遍上人絵詞伝』とも呼ばれていますが、上記のように一遍・真教両上人の生涯を描いていることから『遊行上人縁起絵』と呼ばれることもあります。

 原本の制作年代は1303年(嘉元1)から1307年(徳治2)の間とされています。本絵巻が嘉元元年に真教上人が当麻で別時念仏会を修した場面が最後であること、また1307年に『遊行縁起』の模本がすでにあったことから、この間の成立と考えられています。

 現在、この絵巻の模本は神戸・真光寺本のほか1911年(明治44)に焼失した藤沢・清浄光寺(遊行寺)本、長野・金台寺本(鎌倉末期、重文)、山形・光明寺本(1594、重文)など20本ほどがあります。

 その系統は絵の違いによって3系統に分類できます。原本は伝わっていませんが、この中の数本には原本の奥書までそのまま写し、編者を宗俊としているため宗俊本と呼ばれていますが、宗俊の伝記は不明です。編者の意図としては一遍上人の生涯と教えを記してはいますが、一遍上人は「我化導は一期ばかりぞ」(『一遍聖絵』第十一)、つまり「自分の教えは自分一代かぎりである」といって、自分の教えを残すつもりはありませんでした。それを引き継いだ二祖真教上人の教団の確立ということが明らかにされていて、一遍上人から真教上人への法燈の継承の正当性を主張しているといえるでしょう。

県史跡

一遍上人御廟所の
五輪塔のある玉垣内は
文化財